フランスに閉じ込められた

国際離婚で地獄を見た女の話

離婚決意から別居まで1

離婚を決意したからといってすぐに別居できたわけではありません。

私の場合、離婚決意から娘と水入らずで二人暮らし生活ができるまで

5ヶ月半かかりました。大きく分けると以下の3段階でした。

 

①2018年2月末  離婚決意 詳細は⬇️記事参照

離婚の決定打となる出来事1 - フランスに閉じ込められた

 

②2018年5月初旬 娘と家を出る ジョーカーと別居開始 

         フランス人友人宅での居候生活開始。

 

③2018年8月初旬 娘と新居へ引っ越し 母子水入らず生活開始。  

 

①から②の2ヶ月間は完全に家庭内別居状態でした。ジョーカーの顔も見たくないし声も聞きたくない。結婚後マンションを購入して住んでいたのですが名義はジョーカー名義のみになっていたので私はマンションを財産として分け与えらる権利もありませんでした。私が出ていくしかありません。早く出て行きたかったけれど行く宛もない。弁護士からも離婚調停が終わり判決が出るまではなるべく別居しないほうがいいと言われていました。お互いに離婚の意思は固まっており弁護士も立てていたので同じ屋根の下に暮らしながら一言も挨拶、会話無し。食事も別々。以前からジョーカーは娘の育児にほとんど関わらず私がメインで子育てしていたので娘は食事、睡眠、その他の時間もずっと私と一緒にいました。しかし、お互いに弁護士を立ててからジョーカーの娘に対する態度が激変したのです。今まで娘に関心がなく休日も進んで自ら娘と遊ぶことなどなかった、絵本を読んであげてとお願いしても面倒くさがって逆ギレして読んであげたこともほとんどなかった、娘に積極的に話しかけることもなかったのに真逆の態度を取るようになったのです。これは離婚調停で娘の監護権を獲得するためのアピールだったのです。ジョーカーの魂胆では娘の監護権を獲得し一緒に住めば養育費を払わなくて済むからです。そのためには良い父親であることをアピールしなければなりません。一緒に遊んでいる様子を写真に撮ったり、食べ物やおもちゃなど好きなものを買い与えたり、思いつく限りのことを演じてやっていました。娘は父親が急に自分に関心を示してあらゆるワガママを聞いてくれるので無邪気に喜んでいました。大人の事情や物事の裏表など当時4歳の子供にわかるはずがありません。その様子を私は腑が煮え返るような気持ちで見ていました。

 

離婚決意から別居まで2 に続く